1人の女性がインフラエンジニア兼漫画描きになるまで

おはこんばんにちは。

最近TLでよく見る、女性エンジニアになるまでを綴った記事について、私自身も書いてみたくなったので、書きました。

感銘を受け、私自身の記事も書こうと思わせてくれた記事一覧も合わせて置いておきます。

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womeneng.jp

 

blog.chaspy.me

 

自己紹介

インフラ系エンジニアとして働く29歳です。

オンプレミスやVMDebian GNU/LinuxをのっけてメールサーバやDNSサーバを動かすお仕事をしていましたが、昨年転職して、AzureやGCPk8sを毎日勉強中です。

絵を描くのが好きで、本業としてエンジニアをする傍ら、「インフラ女子の日常」という漫画を執筆しています。(現在、書籍化作業中です!)

気になる方はTwitterで #インフラ女子の日常 で検索してくれるとうれしいです。

 

誕生~中学生まで

1991年(平成3年)生まれの29歳です。Twitterではよくおっさんを自称していますが女性です(ややこしくてごめんね)富山県生まれの富山育ちで、現在も富山在住です。

3人兄弟の末っ子として生まれました。両親ともに共働きで、一言でいえば昭和の価値観の家庭でした。「大学に行くのはお金の無駄」「外孫より内孫」と言うタイプの人たちでした。正直、現在は両親と仲良しとは言い難く、微妙な関係にあります。

 

物心ついたときから絵を描くのが好きです。保育所の卒園アルバムには「ポケモンをかくのがいちばんじょうずです」と書かれたぐらいです。小学校に入ってからも図工の成績が良く、何回か賞も取った覚えがあります。

 

コンピュータとの出会い

小学校にはコンピュータ室があり、一太郎スマイルがインストールされていました。そのソフトの中に、「たこたこエイリアン」というタイピング練習用のゲームがあり、休み時間にハイスコアを出すのにハマりました。

父親はIT職ではありませんでしたが、PCを持っていました。私が「タイピングが上手くなる方法はないか?」と尋ねたところ、渡されたのが古いPCとTypeQuickというソフトのフロッピーディスクでした。実機は廃棄してしまったため、詳細な機種名はわからないのですが、おそらくPC-9821Ne3ではないかと思われます。当時の時点でWindows2000が発売されており、Windows 3.1を搭載したPC-98シリーズはボロくて分厚いPCという印象でした。一緒に手渡されたTypeQuickはMS-DOS汎用版だったので、黒い画面に緑と白の文字は、GUIが当然な世代の私にはとてもシンプルに見えました。

 

中学校ではYahoo!メッセンジャーSkypeで同級生とおしゃべりしていました。実家では相部屋で、自分だけの空間とかプライベートがなかったので、夜更かししておしゃべりする時間が何よりも楽しかったです。この頃からオタク文化にも染まりだし、pixivにイラストを投稿したり、地元の同人誌即売会にペーパーを出したりするようになりました。ペーパーにSNSの連絡先を書いておいたら、コメントが残っていてとても嬉しかったです。このころのパソコンは自分の知らない世界を提供してくれるもので、サービスやプログラムを作るものではありませんでした。

 

高専への進学

高専情報工学科に進学すると、PCが手に入る」、高専情報工学科に進学したのはこんな子供っぽい理由からでした。

幸い中学生の時は成績が良く、地元の高校ならばほぼどこでも推薦が取れるような状況でした。同じぐらいの成績の子は進学校に出願していたので、塾の先生や学校の先生たちからは、「この成績で高専に行くのはもったいない」と言われました。当時は併願可能だったため、進学校高専の併願をすすめられました。ただ、3年生の時の担任の先生は、高専に行きたいという気持ちを第一に考えてくれて、確実に入学できるよう、専願での推薦を進めてくれました。話がそれますが、この先生は「どうしても定期テストで学年1番を取ってみたい」と相談したときに、とても熱心に勉強に付き合ってくれた先生でもあります。「なつよちゃん、こないだのテスト、1番だったよ!頑張ったね!」と言ってくださった時の顔は今でも忘れられません。

 

高専時代

高専の校風はすごく性にあっていて、5年間すごく楽しかったです。

情報工学科なのでコンピュータサイエンスの基礎を学ぶカリキュラムが多かったです。2進数、8進数、16進数の計算をやったり、エンディアンについて学んだり、クイックソートバブルソートなどのアルゴリズムをC++で実装しました。一方で数学と電気工学や物理の時間も同じぐらいあって、当時は「なんでこんなことをやる必要があるんだ…」と思っていました。今考えると、すごく大事だったと思います。どれも社会に出てからはなかなか学ぶ機会が取れないものばかりでした。

 

このような経験から、「高専に進学したい(子供を進学させたい)」という話をよく聞くとかならず「1コマ目:微分積分 2コマ目:物理 3コマ目:通信工学という日が毎週1回あるけど大丈夫ですか?」と言っています。同じ情報工学系の学位をとっている人はわかると思うのですが、1日中数学にどっぷり浸かる日になります。なので、自分の経験上、数学が得意でない人が高専に進学するのは、かなり厳しいと思っています。

 

一方で、実家では「高専はアルバイトOKなんだから自分で稼げるでしょ」と言われてたので、いろんなアルバイトをしました。マクドナルドのクルー、郵便局での年賀状の仕分け、ますの寿司の生産ライン、ラーメン屋、塾の丸付けなどです。

平日はみっちり授業があり、家に帰ってからは課題をやり、土日は朝の5時からアルバイトを入れていました。今よりこの時の方が身体的にずっとしんどかったです。

 

このころから両親の喧嘩が激しくなった覚えがあります。喧嘩を止めに入ったことも何回かあったかわかりません。親がかなり神経質になり、機嫌がどんどん悪くなって、ヒステリックになっていました。ドアをすごい勢いで閉められたり、「嫌なら食べるな!!!」と言われてご飯を目の前で三角コーナーに捨てられたりしました。このような経験があったせいか、自分がお金を稼がずに学生をしていることが後ろめたく感じるようになっていました。「女は結婚したら寿退社するものと思っている会社が多いから、四大に行くと雇ってもらえない。」と日ごろから親に言われていたので、高専を卒業したら就職一択で、進学という選択肢はありませんでした。

両親が本当に四大に行った女性が雇ってもらえないと考えていたのか、進学させたくないがために言っていたのか、今でもわかりません。(四大に行った女性が雇ってもらえないというのが間違っているのは、今ではとてもよく知っています!)

今思い出すと、当時の両親にとっては、子供がもっともお金がかかる時期に突入すると同時に祖父の介護が必要な状態になり、精神的にも金銭的にも余裕がなかったんだと思います。

 

高専に進学後もそこまで成績は悪くなかったので、情報工学を学ぶのは性にあっていたようです。今でも高専に行って本当に良かったと思っています。

 

卒業研究ではmoodleというオープンソースのeラーニングのプラットフォームのプラグインの開発をしていました。環境はpostgreSQL+PHPで、今思い出すとこの時にwebの基本的なところを表面だけでも触れてよかったなと思います。

 

地元のユーザー系SIerへの就職(新卒入社)

 2012年卒、20歳で地元のユーザー系SIerに就職しました。当時はリーマンショック後で、学校への推薦が減っており、「とれる子は自分で内定取ってきて…」と言われていました。3社受けて2社に内定が出ました。工業系の学科ということもあってか、就職活動は苦労しなかった方だと思います。

 

インフラエンジニアとしてのキャリアの始まり

ユーザー系SIerでしたがISP事業も手掛けていて、新卒で配属されたチームがISP事業のネットワークやサーバのお守りをする部署でした。当時は短絡的な思考で、ITエンジニア=プログラマだ!と思っていたので、「プログラムはあまり書かない」と言われてとても驚きました。

techplay.jp

OSはLinux系(Debian GNU/Linux,CentOS,RHEL)で、メールサーバやDNSサーバ、社内無線LANの認証周り(認証局、認証サーバ)の更新・保守が主な業務でした。学生時代は一切Linuxを触ったことがなかったので、コマンドラインの操作に慣れるまでかなり戸惑いました。

会社全体としては女性の割合はそこまで低くないのに、私が配属された部署だけ女性がとても少なかったです。コールセンターの方々を除くと、女性エンジニアは40人ぐらいのところに3人でした。

リプレース作業のために深夜に出勤する機会もたくさんありました。古い建物で夜中に非常口のライトしかない廊下を1人で歩くのは怖かったですが、お陰で胆力が付いたと思います。椅子を3つ並べて寝られるようになりました。笑

 

データセンターに入るのも、最初は怖かったですが、空調に耐えられるようにスカートからパンツ中心のコーディネートにしたり…

 

化粧の時間よりもサーバの稼働時間を気にするようになったり…

 無心でLANケーブルを抜けるようになりました。

techplay.jp

 

実家からの脱出

24歳の時に家を出て一人暮らしを始めました。

個人的な事情を含むのと、自身の中で消化しきれていないため、詳細は書けませんが、両親も含め兄弟も激高すると手が付けられないタイプで、実家で生活するのがかなり辛かったのと、仕事のストレスもあってか神経症と診断されていました。

アパートを契約して1人で過ごした時は、自分の部屋が生まれて初めて手に入ったので、とても嬉しかったのを覚えています。

 

漫画を描き始める

一人暮らしになって、勉強や趣味に集中できるようになりました。4回ぐらい落ちていたAPに受かりましたし、SC受けて一発で受かったら自動二輪の免許取っちゃお!!!と思って受けたら受かりました(自動二輪の免許もちゃっかり取りました)

infragirl755のTwitterで漫画投稿を始めたのがこのころです。久々に絵を描きたくなったのと、部署に女性が少なかったので、「女性のインフラエンジニアの仲間が欲しい」という単純な理由からだったと思います。

なつよ/夏目葉太( ˘ω˘ ) スヤァ on Twitter: "データセンターデビューしたときの話です。 https://t.co/dZl7iNeMY6"

反応を貰えるのが嬉しくて、どんどん投稿するようになりました。フォロワーさんや憧れの漫画家さんに会ってみたくて、技術書典やTechGIRLに参加したりしました。今でも大事な思い出になっています。

2016/6/25開催の技術書典に行ってきました - infragirl’s blog

techGIRLに行ってきたよ - infragirl’s blog

Twitterで刺激を受けて、勉強会やイベントにどんどん参加するようになりました。このころはオンラインでの参加枠はなく、東京や名古屋での開催だったので、高速バスに飛び乗ってよく出かけていました。勉強会自体も楽しかったですし、ついでに観光や博物館巡りもしていたので、仕事の自己啓発をしているというよりは趣味をエンジョイしてる認識でした。

 

転職

Twitterやイベントで沢山の人と交流することで、なんとなく自社の大体の立ち位置が見えるようになってきました。

この辺の経緯は退職時の記事に書きましたのでこちらからどうぞ。

8年間勤めたSIerを退職します - infragirl’s blog

 

これから

転職して、やはりインフラや運用が好きなんだなと改めて認識しました。開発の現場にも入りましたが、「(運用フェーズに入った時のことを想像して)ユーザの管理手順まとめておいた方がいいんじゃないかな…」「こういう監視を組み込んでおくといいんじゃないかな…」というふうに、ついついインフラや運用の視点で考えてしまいます。

ユーザの加除やリソースの操作がコード化され、適切なタイミングで使えるように管理されていることに美しさを感じます。最近はk8sの勉強をしていて、サービスが安定的に動く仕組みがよく考えられているのを知って、うっとりします。☺️

 

今年はついに30代に突入します。子供の頃に想像していた自分よりは、割と面白く楽しい大人になれたんじゃないかと思います。身体に無理がきかないようにもなってきたので、自分のペースでのんびり頑張りたいです。

 

これから女性ITエンジニアになる後輩の皆さんへ

工学部やITの現場はまだ女性の割合は少なく、最近はコロナ禍で新しい出会いも制限され、心細く感じている人もいるのではないでしょうか。外の世界に目を向けてみてください。私の場合はTwitterでした。TechGIRLやWomen Who Codeなど女性向けのイベントやコミュニティもあります。

皆さんが素敵なエンジニア人生を送れますように!応援しています!